ぶつかって、ぶつからない〜武道における正中線を考える〜

武道では、強い力を身につけることが重要である。

しかし、強い力を持つことと、その力を常に相手の力へ真正面からぶつけることとは同じではない。

相手が強ければ強いほど、その力を正面から受け止め、こちらも同じ方向へ強い力を返そうとすれば、結局は力と力の争いになる。

もちろん、相手の力を受けても崩れない身体と心を養うことには、大きな意味がある。

しかし、武道の理法を考えるならば、その先にもう一つ重要な課題がある。

それは、

相手の中心を捉えながら、相手の力とは無駄に衝突しない

ということである。

私は、このような力の関係を、

「ぶつかって、ぶつからない」

という言葉で捉えている。

「ぶつからない」とは、逃げることではない

「ぶつからない」と聞けば、相手の攻撃を避けることや、相手から離れることを思い浮かべるかもしれない。

しかし、ここでいう「ぶつからない」は、そのような意味ではない。

自分が相手の正面から逃げることでも、自分の身体を横へずらして相手との関係を断つことでもない。

むしろ、自分は相手と対峙し、自分の正中を保ちながら、相手の中心を捉え続ける。

そして、相手の正中から自分の正中へ向かってくる力に対して、必要であれば正面から接触する。

ただし、その力と同じ線上で押し合い続けるのではない。

防御技や身体操作によって、相手の力の方向に変化を与える。

その結果、相手の力線が自分の中心からわずかに外れ、さらに相手の姿勢や重心にも変化が生じる。

すると、相手の中心そのものも、自分の中心との正対関係から次第にずれていく。

重要なのは、

自分が相手の力線から逃げるのではない。
自分の中心を保ちながら、相手の力線をずらし、相手の中心を崩すのである。

その状態をつくりながら、自分は正中を失わず、全身の力を統合して相手の中心へ働かせる。

つまり、

自分の中心は保つ。
相手の力線を変える。
そして相手の中心を捉える。

これが、「ぶつかって、ぶつからない」という理法を考えるうえで重要な点である。

正中線と力線

このことを理解するには、「正中線」と「力線」を区別して考える必要がある。

正中線とは、単に身体を左右に分ける幾何学的な線ではない。

武道においては、身体全体を統合し、姿勢や力の発現の基準となる中心的な線として捉えることができる。

一方、力線とは、その瞬間に実際の力が作用している方向である。

したがって、

相手の正中を捉えることと、相手の力をそのまま真正面から受け止め続けることは同じではない。

相手の中心は捉え続ける。

自分の中心も失わない。

そのうえで、接触した相手の力に変化を与え、その力線を自分の中心から外していく。

さらに相手の姿勢や重心を変化させることによって、相手の中心そのものを崩していく。

一方、自分は正中を保ち、全身の力を統合したまま相手へ作用する。

そこに、単純な力と力の衝突とは異なる攻防が生まれる。

理想的には、相手にはその全身力を十分に発揮させず、自分は自己の中心と全身の統合を失わないまま、相手の中心へ力を作用させる。

私は、この関係こそが、

「ぶつかって、ぶつからない」

という理法を考える出発点であると考えている。

ぶつからないとは、接触しないことではない。

自分が逃げることでもない。

相手の力と接触しながら、その力を自分の中心にまともに作用させず、相手の力線と中心の方を変化させていくことである。

力を使わないのではない。

相手から逃げるのでもない。

自分の力を保ちながら、相手の力との無駄な衝突を避けるのである。

では、そのためには何が必要なのか。

私はまず、

「ぶつかっても崩れない自分」

をつくることが重要であると考えている。

次回は、このことについて考えてみたい。


※本稿は、刊行準備中の
『武道を学び、どう生きるか?Ⅱ 理法を学び、活かす(仮題)』
に向けて考察している内容の一部である。