先日、I.K.O.N.の成田先生が主催する大会に参加した。IBMA極真会館増田道場からも、数名の選手が参加した。そこで、中村誠師範のご子息である、I.K.O.N.の中村昌永代表と話をする機会があった。
中村昌永代表は、大変聡明な方だというのが第一印象である。また、率直な性格の方のようにも感じた。I.K.O.N.立ち上げの経緯など、色々な話を聞かせてくれた。
私はといえば、相変わらずである。馬鹿正直に、中村誠師範との昔の思い出を話した。その内容は、次のようなものである。
私は21歳の頃、大阪にいた。大阪南支部の指導員を務めていたからだ。ちょうど第3回世界大会を控えた頃だった。
その頃、尼崎にあった中村誠師範の道場へ、出稽古に行ったことがある。中村師範は、私を快く受け入れてくれた。しかし、その日の稽古は、中村師範と西山君との3人の稽古だったように記憶する。はじめ、西山君と3~5本くらい組手を行い、その後に中村誠師範と組手をした(はじめマンツーマンだと記憶していたが、西山君もいた、と記憶が蘇った)。
稽古後には、中村師範のお兄さんの焼肉屋さんで、食事までご馳走になった。その際、中村師範は私に、こんなことを言ってくれた。
「増田くんだけだよ。稽古着を持ってここに来るのは」
正確な言葉は、もう覚えていない。しかし、そんな意味のことを言ってくれた。おそらく、中村師範なりに私を褒めてくれたのだと思う。
些細な思い出かもしれない。しかし、私は今でも、その心遣いをありがたく思っている。
その後の第3回世界大会には、私も出場した。まだ21歳だったと思う。世界大会への出場は、それが初めてだった。
ヨーロッパチャンピオンのミッシェル・ウェーデル氏、全日本チャンピオンの大西靖人氏とも対戦した。
その大会での中村師範の姿も覚えている。すでに世界チャンピオンでありながら、プレッシャーなどないかのように見えた。
アンパンを食べながら、対戦相手を見ていた。そして、戦い方を考えているようにも見えた。
もっとも、そんなことは何も考えず、ただアンパンを食べていただけかもしれない。
しかし、次々と強い相手との対戦を控えていた私には、そんな余裕はまったくなかった。
正直に言えば、ほとんど一人ぼっちでの世界大会出場だった。セコンドもいなかった。食事の取り方も、試合の間の休み方も分からなかった。
ただ一つ、「絶対に負けない」とだけ考えていた。
今から思えば、正気の沙汰ではない。
話を現在に戻そう。
中村昌永代表は、すでに40代だという。十分な経験を積み、まだ体力もある年代である。これからは、中村代表のような世代が空手界を率いていくのだろう。
私のような年寄りが、いつまでも先頭に立つ必要はない。
ただ、大山倍達師範をはじめ、かつての師範方が次々と鬼籍に入る中で、思うことがある。
私は、極真会館の草創期そのものを体感してはいない。しかし、これまで多くの先輩方から話を聞いてきた。また、その先輩方に直接接する機会にも恵まれた。
その中で、時々考える。
大山倍達師範は、今の極真を見て、何を思うだろうか。
もちろん、私ごときの考えなど、大山倍達師範なら一蹴するかもしれない。それでも、命懸けで伝えてみたいことがある。
それは、もはや叶わないことである。
だが、その思いは、今も私の中にある。
おそらく私は、組織にとって扱いにくい人間なのだろう。私の役割は、もう先頭に立つことではないのかもしれない。
それでも、まだ伝えておきたいことがある。
今回はやめておこうとも思った。しかし、中村昌永代表がとても話しやすい人物だったので、一つだけ伝えた。
その考えが、極真空手だけではなく、フルコンタクト空手を愛する人たちに理解されれば、空手競技そのものが変わる。
私は、そう考えている。
もちろん、それぞれの流派や団体が持つ文化は、残しておけばよい。競技スタイルにも、それぞれの個性があってよい。
私が考えているのは、すべてを一つにすることではない。
異なる文化を持つ集団が、より公正で普遍妥当な基準を共有することである。そして、その基準の下で連帯することである。
そのモデルを実現できれば、極真空手の存在価値は、さらに高まると思う。
格闘技の一つとして分類されがちな極真空手が、武道としてだけではなく、スポーツの世界からも一目置かれる存在になる。
私は、その可能性があると考えている。
最後に私は、中村昌永代表へ、「これからも我々とお付き合いください」と伝えた。
また、成嶋師範と私がかつてチームメイトだったことを話すと、「成嶋師範には大変お世話になりました。よろしくお伝えください」と言われた。
人とのつながりを大切にする人物なのだと感じた。
これからの世代には、これからの世代の役割がある。
そして、私たちの世代にも、まだ役割があるのだと思う。
先頭に立つことではない。
経験したことを伝え、次の世代へ渡していくことである。
私には、まだ捨てきれない夢がある。
それを愚かというのなら、愚かなままでもいい。
ただ、その夢が次の世代の何かにつながるのであれば、もう少しだけ語り続けたいと思っている。





