第3回 ありがたい人生だった
〜北極星を見ながら生きる
これまで、人生という航海と、その方向を確かめる北極星について考えてきた。
最後に、武道を学ぶ意味と、自分がどのような人生を生きたいのかを考えてみたい。
武道を考え続けた先に
私は長い間、武道について考えてきた。強さとは何か。勝つとは何か。礼とは何か。
修練とは何か。武道とは何か。私は、そうした問いを繰り返し考えてきた。
しかし、それらを考え続けるうちに一つの問いへ近づいてきた。それは、人としてどう生きるのかという問いである。
武道を究めた先に、特別な人間になることがあるのではない。むしろ、深く考えるほど自分自身へ戻っていく。
今の私は、そんなふうに感じている。武道を学んだから、人より偉くなるのではない。
武道を通じて、自分自身を深く見つめられるのか。自分を制することができるのか。
他者の尊厳を認めることができるのか。違いを敵とせず、ともに生きる道を探せるのか。
そして、自分の過ちを認められるのか。間違ったなら、自分で方向を修正できるのか。
私にとって、武道を学ぶ意味は次第に変わってきた。今では、そのような問いを持ち続けることに意味を感じている。
私にとっての北極星
では、私にとって人生の北極星とは何なのか。私はまだ、それを完全な言葉にはできていない。
むしろ、簡単に定義し切らない方がよいのかもしれない。ただ、長い航海の中で見えてきたものはある。
自分を制すること。他者の尊厳を認めること。自分だけを生かそうとしないこと。
自分と他者の双方を生かそうとすること。違いを理由に相手を排除しないこと。
そして、ともに生きる道を探すこと。自分自身の弱さや過ちから目をそらさないこと。
そうしたものが、私にとっての北極星を形づくっているのだと思う。
私は、その星に到達することはできない。そもそも北極星とは、到達する場所ではない。
しかし、その星を見ることはできる。それによって、自分が今どこにいるのかを確かめられる。
そして、自分がどちらを向いているのかも確かめられる。方向がずれているなら、もう一度舵を切り直せばよい。
人生とは、そうしたことの繰り返しなのかもしれない。
感謝できる人生へ
父の日に書いた詩を、今あらためて読み返してみる。そこには、次の言葉がある。
「その一人ひとりが、私の人生を意味あるものにしてくれた」
そして、こうも書いている。
「そのすべての人たちに心から感謝したい」
今の私は、この「感謝したい」という言葉を以前より重く感じる。幼い私を車に乗せてくれた父を思う。
山や川や海へ連れていってくれた父である。思春期の私を心配しながらも、力で押さえつけなかった父でもある。
時には口うるさく言い、時には黙って見守ってくれた。当時の私は、その意味を十分には理解していなかった。
しかし今、私自身が親になった。そして、老いた父を目の前にしている。
そこで初めて、受け取っていたものの大きさが少し分かる。感謝とは、良いことだけにするものではないのかもしれない。
自分が望んだこともある。望まなかったこともある。成功したこともある。失敗したこともある。
出会いもある。別れもある。喜びもある。悔しさもある。
自分の人生を形づくったものは、そのすべてである。それらを振り返り、こう思えるだろうか。
「あれもまた、自分の人生だった」
そして、さらにこう思えるだろうか。
「それでも、この人生でよかった」
もしかすると、それが私の求めている感謝なのかもしれない。
残された航海
人生という航海が、いつ終わるのかは分からない。明日かもしれない。まだずっと先かもしれない。
だからこそ、最後に立派な人間になれればよいとは考えたくない。いつかではなく、今が大切なのだと思う。
今、この瞬間に、自分はどちらを向いているのか。そのことを問い続けなければならない。
若い頃の私は、遠くの港を見て船を進めていた。それはそれでよかった。
目的地があったからこそ、私は船を出すことができた。そして、嵐の中でも前へ進むことができた。
これからも私は、目標を持つだろう。やりたいこともある。残したいものもある。伝えたいこともある。
しかし今は、目的地だけを見て船を進めたいとは思わない。時折、夜空を見上げたい。
自分は今、どこにいるのか。どちらを向いているのか。
人間として恥じない方向を向いているのか。そのことを確かめながら、残された航海を続けたい。
そして、いつか航海が終わる時が来る。その時、目指していた港へ着いているかは分からない。
まだ途中かもしれない。それでも、その時に父を思いたい。
家族を思いたい。先生たちを思いたい。友人を思いたい。ライバルを思いたい。
ともに武道を歩んだ仲間たちを思いたい。縁あって出会った、すべての人たちを思いたい。
成功も失敗も、自分の人生として受け止めたい。喜びも悲しみも、その中に含めたい。
自分の未熟さや過ちさえも、自分の人生として受け止めたい。そして、最後にこう思えたならよい。
「すべて、意味のあることだった」
そして、心からこう感じることができたなら、それでよい。
「ありがたい人生だった」
今の私は、そう思っている。
だから私は、これからも自分の目的地を自分で決める。しかし、目的地だけを見て進むことはしない。
航海がいつ終わるか分からないからこそ、心の目に北極星を持つ。その星を見ながら、自分の位置を確かめる。
そして、自分が向いている方向を確かめる。間違えたなら、何度でも舵を切り直す。
最期まで、人間として恥じない方向を向いて生きていきたい。一武道人として。そして、一人の人間として。




